| フランクフルトからの行き方 |
| 自動車 | A66(40km) → B42(21km),A66をWiesbaden方向にまっすぐ走っていると道はそのままB42になります。とにかく道なりにまっすぐ。A66は全区間スピード制限されています。時々カメラコントロールもされているので注意! |
| 列車 | Frankfurt HbfからRBかREでRüdesheim am Rheinまで(約40分)。本数が少ないので、Sバーン(S1, S8, S9)でWiesbaden Hbfまで行き、そこからRBかREでRüdesheim am Rheinに行く方法もあります。リューデスハイムはヘッセン州ですからヘッセンチケットも利用できます。 |
リューデスハイム・アム・ライン(Rüdesheim am Rhein)には、紀元前500年ごろにはすでにケルト人が住んでいたことが出土品などにより確認されています。その後やってきたローマ人はライン川の左岸(リューデスハイムの反対側)に住み着くようになりローマ帝国領として発展していきます。
先進技術を持つローマ人に驚いた先住民でしたが、結局彼らにの支配下に入ることになり、彼らから建築技術やブドウの栽培技術を学んでいきます。
ライン川の右岸になるリューデスハイムは、南向きの斜面が川から切り立つように連なり、日当たりがよく、ブドウの栽培に適していました。そこで先住民はブドウを栽培し、ローマ人を相手に取引をするようになり、このブドウのおかげで次第にリューデスハイムは豊かになっていきます。このような関係が約400年以上続きます。
ローマ人の勢力が衰え始めると、3世紀から4世紀にかけてフランク人がやってくるようになります。5世紀の終わりごろには、フランク王国のメロヴィング朝(Merowinger)が支配するようになります。
フランク人は、マインツ(Mainz)からコブレンツ(Koblenz)にかけたライン川沿いのブドウの栽培に適した一帯をラインガウ(Rheingaw)と呼び、豊かで肥よくな土地の利権を求めて、権力者たちが税の徴収のため次々と城塞を建てるようになります。1220年マインツ政府によりエーレンフェルス城(Burg Ehrenfels)が建設されました。この建設によりそれ以前にあったリューデスハイムのニーダ城(Niederburg)はその存在の意味をなくし、その結果Rüdesheimの貴族たちは税収という利権を手放すことになります。エーレンフェルス城は、現在は廃墟(Ruine Ehrenfels)となり、そのたたずまいを遊覧船からも見ることができます。
1825年には蒸気船が走り始め、1856年には鉄道が建設され観光客が訪れるようになります。レストランやホテルが次々と建てられ、リューデスハイムは観光の町として有名になっていきます。
ラインガウのガウとはフランク王国の時代に制定された小国のことです。現在はこの小国は存在していませんが、ラインガウという言葉はライン川沿いのワインの生産地を指す名称として残っています。
この地方で栽培されるブドウの80%はリースリングという種類です。ワインの王様と称えられている貴腐ワインは、このリースリングから作られます。ラインガウの貴腐ワインは世界3大貴腐ワインのひとつに数えられています。
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